神道について

日本の神様 〜神道って何だろう〜

精神の神々

現代に伝わるあらゆる日本文化の源流がそこにある。
剣道・弓道・柔道・華道・茶道等々。
これらは作法として、武士道として探求され極められた。
強靭な精神力の鍛錬のみでなく、五感と研ぎ、目に見えぬ繊細なものを感知する。
日本古来より培われた自然への風流な感性も受け継がれた。

生活の中にも「家訓」・「しきたり」があり、「礼儀」「けじめ」といった「躾」がある。
職業にも身を律する姿勢、匠の技、こだわりがある。

職場や玄関に注連縄を貼る。
家と外とのけじめから履き物を脱ぐ。
机に尻を乗せることを行儀が悪いと窘め、いろいろな約束が決められる。
約束はすなわち神に対するけじめ・恐れ・心遣い。
あらゆる物に神を感じる共通した民族性が生じる。
目に見えぬ、自然の流れ・命の流れ・心の流れ・関わり。
この探求無くして日本文化の神髄は見えない。

ヒト(人)は霊(ひ)を留(と)の意という。
「ひ」はカミであり、これを留めるとは、『道理を持つもの』の意と解釈できる。
目に見えぬ大切な働きや関わりの見えない物は『人間』であっても『ヒト』とはいえないのかもしれない。
まして道理を破る者は『人でなし』ともいう。
『自然の神々』『祖先の神々』『精神の神々』この三つに共通することは、
「目に見えない」「もの言わない」しかし人にとって欠くことの出来ない大切な働きを持っていること。
共通して「たましい」(魂)と呼び、目をつぶり心を静かにすれば感じることのできる身近な存在。カミは「いる」とか「いない」とかではない。
「感じることが出来るか」にある。
人として「いくつ神様を感じることが出来るのか」でその人の心の深さとなる。
神々を感じ、崇め、全て自己の責任として実践する。
実践とは生活・仕事等の中で目に見えぬ神々の様々な繋がりを意識し、
感謝や恐れを忘れず、神々に恥ずかしくない清く・明るく・正しく・素直な心を持って、
「何をなすべきか」・「何を守るべきか」自分の責任に於いて判断すること。
神々に喜んで頂ける誠意ある行動、研鑽・奉仕が第一となる。

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