目次
神社のご案内
授与品のご案内
神前結婚式
厄除け祈願・厄年表
七五三
お正月
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神道について
杉並区馬橋の歴史
ご祈祷の受付
神社のご案内
馬橋稲荷神社のご案内
由緒と沿革
境内案内
年中祭事日程
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境内案内
社 殿
神殿は手前より拝殿・幣殿・本殿より成り、手前の拝殿・幣殿は昭和十三年建立。総檜造の銅板葺き流れ造り。奥の本殿は天保二年建立の檜・欅造。銅板葺き流れ造り。
◆参拝の作法
1、先ず賽銭を投じます。
2、鈴紐をふり、鈴の音により祓いをします。(鈴祓い)
3、心を鎮め、背筋を伸ばし、二礼(2度のおじぎ)神様に敬意を示します。
4、二柏手(柏手を2回打つ)自分の心と神様の神霊とを結びます。家族でお参りの時はみんな揃えてたたきましょう。手を合わせたまま祈念
5、1拝(神様への拝礼)
以上 二礼二柏手一拝の作法と成ります。
御神木
樹齢300年以上?白樫(しらがし)
神輿殿
昭和57年当社宮御輿の25年ぶりの神幸祭に際し、建立されました。鉄筋コンクリート造 銅板葺き 流れ造り。
大正11年上野不忍池を中心に『大正平和博覧会』が開催され、その時に出品された大御輿です。当時家が500円で出来た時代に、4,000円の巨費にて馬橋村が購入しました。京橋区西八丁堀 秋山三五郎作 大正10年にメートル法が施行され、尺寸ではなくメートル寸法で作られた珍しい御輿でもあります。
大正12年8月末に牛車に引かれ馬橋にもたらされました。その数日後、9月1日に関東大震災により首都東京は灰燼に帰しました。この御輿は危うく難を逃れたことから、『難除けの御輿』とも呼ばれます。
手水舎
東門手水舎 『洗心』と彫られた御影石の手水鉢は昭和十三年馬橋地区土地区画整理事業完成記念のものです。
厳島神社
馬橋村に点在していた湧水には、水神様や弁天様がお祀りされていました。
現在はこの末社に全て合祀されています。
稲荷社
近隣の庭に祀られていた稲荷社です。引越し、建て替え等の理由でお祀りできなくなり、当社でお祀りしています。
合社碑
明治40年、馬橋村に祀られていた、御嶽神社、天神社、水神社、白山神社を村落中央に位置していた稲荷神社に合祀(一緒にお祀りする)されました。その事を記念して建立された石碑です。
齋霊殿
馬橋地区の日露戦争・大東亜戦争戦没者と神社物故者、又神道家の祖霊をお祀りしています。
神楽殿(舞殿)
昭和62年に改築。大祭の神楽の他、春秋の芸術鑑賞会など、催しが沢山あります。
忠魂碑
日露戦争の戦没者と出征した方々の名前が刻まれています。
表面の書は乃木大将の筆です。
随神門
昭和50年当社創建700年を記念して建立されました。右に豊磐間戸神・左に奇磐間戸神の戸守りの神の神像を祀っています。
参集殿(社務所)
社務所と、多目的に使用される大小の2つの会議室があります。
神社の会議以外に集会、年祭、披露宴など地域の行事に欠かせない施設となっています。
手水舎
天然の大きな伊予の青石から清めの水が流れ落ちる手水舎です。水は地下50メートルより汲み上げ、年間を通して約15度の天然水です。
駐車場
お車での参拝・車祓をご希望される方へ
小型車は西鳥居より、大型車は正参道より境内へ進む事ができます。
大型車でご参拝の方は事前に社務所までお問い合わせください。
由緒書
社号碑
昭和40年の住居表示に関する法律により、多くの地名がなくなり、地番が変わりました。残念ながら馬橋の地名も消えさりました。地域住民はこれを惜しみ神社名に馬橋の名称を冠し、正式に馬橋稲荷神社となりました。その記念に建立された社号碑です。真鶴産 本小松石
一の鳥居
現在では珍しい木製の大鳥居です。およそ樹齢400年のヒバ材を用い、笠木を台輪が支える、台輪鳥居(稲荷鳥居)の形式です。笠木は銅板葺きで、鳥が羽ばたくような優雅な形状の鳥居です。
龍の鳥居(二の鳥居)
昭和7年杉並村が大東京市に編入されたことを記念して関口林之助氏により奉納されました。
龍の巻いた鳥居は珍しく、品川神社・高円寺内稲荷社と当社の3つのみであることから、東京3鳥居と呼ばれています。御影石作りの明神鳥居です。
三の鳥居
平成御大典を記念して建立されました。御影石作りの台輪鳥居です。
みたまのふゆ
社殿正面にあるこの勾玉は、神様のチカラを頂戴する御神霊(おみたま)石です。
町内神輿展示庫
令和元年に建設。馬橋地域内8カ町のお神輿を展示する耐火建築の倉です。
重量鉄骨造の躯体にコンクリートボード(ALC板)の壁、正面からは透明の強度の強いポリカボードのはね上げ式ドアを設置しています。