杉並区馬橋の歴史


馬橋の歴史と地名 馬橋村と馬橋稲荷

地名の由来

馬橋村絵図

馬橋村村名の由来は明らかではありませんが、地元には二つの説があります。

1、青梅街道南側、梅里2丁目の梅田ビルと志村ビルとの間にあった泉から流れた小川が、街道を横断して桃園川へ流れ、そこに架けてあった橋が、馬で一またぎするくらいの幅であったので、馬橋と呼ばれ、これが村名になったという説。


2、阿佐ケ谷南2丁目の馬橋稲荷神社裏手の桃園川の湿地帯を、軍勢が通ったとき、馬を橋代わりにして渡ったので、馬橋の地名が生まれたという説です。

上記の説の内、には無理が有ります。馬が一またぎする小川を理由に「馬の橋」という地名を名付けることはあり得ません。

の説は、文明11年(1479年)に杉並区・中野区近辺で太田道灌と豊島氏の間 で激しい合戦があったこと。当時、合戦の戦法で馬を橋代わりに湿地を渡ることが ありました。戦略的に意表を突く方法でもありました。 馬橋村中央部「桃園川流域」はかなりの湿地であり、馬の背を橋代わりにしたことは 充分うなずけます。 この理由によりの説を有力と考えます。