馬橋の小名(字)
◆延宝2年(1674)4月の縄打帳による記述
馬橋村は延宝2年(1674)4月の縄打帳によると田方14ヶ所の小名の水田があり、これによって湧水による水田分布の範囲がわかります。
小名はどこの村でも共通性があり、その土地がどの様な所であったか手がかりとなります。
田方14ヶ所の小名
新道上 |
前田 |
宮ノ前 |
宮ノ前道上 |
細町 |
とうの下 |
道下 |
向田 |
新道下 |
志も田 |
水神前 |
そば窪(蕎麦窪) |
赤み街道 |
中堤上等 |
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畑方35ヶ所の小名
高円寺境 |
前 |
屋敷添 |
大場境 |
屋敷裏 |
せど |
天神前 |
第六天山 |
後 |
阿佐ケ谷境 |
後原 |
宮ノ後 |
宮ノわき |
前畑 |
屋敷内 |
本屋敷 |
稲荷前 |
田端 |
南 |
赤味ケ谷戸 |
中通り |
宮ノ前 |
西ノ窪 |
蕎麦窪 |
新道下 |
赤宮ミかいと |
道通り |
大道通り |
田むかい |
池ぶち |
海道通り |
海道むかい |
大塚根 |
そば窪 |
大宮境 |
萓野方小名
後原 |
大場さかい |
後 |
ミやのこし |
にしのくに |
中道 |
主な小名
本屋舗 |
村が成立した当時に最有力者が住んでいた地域。 |
後原 |
本屋舗の背後(北)の原。 |
後見ケ谷戸 |
本屋舗の後ろに見えた小さな谷。 |
田向 |
桃園川の向かい側(南)の田圃。 |
西ノ久保 |
村の中心から見て西方の窪地。 |
中道 |
村の中程を通っている古道沿いの地域。 |
蕎麦窪 |
青梅街道の蕎麦(傍)の窪地。 |
大塚根 |
梅里2丁目31番にあった「松の木の大塚」の麓(方言・根元)だった。 |
◆明治22年町村制施行後の小名
明治22年町村制が施行されて、高円寺・馬橋・阿佐ケ谷・天沼・田端・成宗の6ヶ所は合併して、杉並村となり杉並村大字馬橋となりました。 杉並村の成立に伴い旧村の小字は廃止され、大字馬橋には住還南、本村、鷹っ鶴、西原、内手、原の6つの小字がつけられました。
主な小名
住還南 |
青梅街道南側の地域。江戸時代は青梅住還と呼んだ。 |
本村 |
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鷹っ鶴 |
将軍家光が鷹狩りにきて、放した鷹が鶴を捕らえたので鷹鶴と名付けられたとの説がある。 |
西原 |
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内手 |
旧小名西ノ久保の地域。地元の古老の話では、田畑、山林には、西ノ久保を使い人や家には内手をつかった。大昔からあった地名ですが意味は分からない。内手は昔、砦の内の手勢という意味ですから、この近くの豪族(阿佐ケ谷氏)の「家の子郎党」の住居のあったところかもしれない。 |
原 |
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