雨が降らず、日照りが続くと、丹精込めて作った畑の野菜がだんだん元気がなくなり、しなびてゆくと、村を挙げて雨乞い行事が行われました。
第一段階では、村中の家々が一斉に村内(高円寺南3-12-6)の弁天池の水を、青竹の筒に汲んできて自家の畑にふりまいて、雨を呼びました。それでも雨が降らないと、第二段階として、足の達者な人が井の頭の弁天様へお水を貰いにいきました。そこで雨が降ってしまうと言うので、聖火リレーのように、交替の人が付き添って出かけました。
帰ると、先ずお水を馬橋稲荷神社に供え、貰いにいった全員が神社脇の桃園川の「こり場」(現・杉並学院のそば)に、ふんどし一つで飛び込み、身体を清め、先達が「帰命頂礼、六恨精浄」と、音頭をとると、皆が「サンゲ、サンゲ、六恨精浄」を唱えながら、川水を川縁にかけ、これを3回繰り返してから陸に上がり、菅笠わらじの旅姿に戻って神社に帰り、竹筒のお水を手桶に移しました。太鼓、先達、お水、村人の順で神社を出発します。先頭の若い衆が太鼓を叩きながら、「アマツノリト、フトノリト」と大声で叫ぶと、先達が「六根清浄、ホー、ホーノーホイ、ホーホツ、ノー、ノーエ」と意味の判らない呪文を唱え、あとから皆がこれに唱和し、これを繰り返しながら、村中を行列して巡り、所々で、先達が手桶に笹の葉を入れ、お水をつけてばらまきました。順路もお水をまく所も大体きまっており、巡ってから神社に戻り、雨乞いの御祈祷後、御神酒を頂戴して終わりました。
それでも雨が降らず、野菜に立ち枯れの危機が迫ると最後の手段として、神奈川県の大山阿夫利神社へお水を貰いに行きました。使いは二人で夕方出発し、朝早く大山に着き、朝一番のご祈祷水を頂戴して帰途につきました。これを村人が迎えに出て、リレー式に運びました。1番遠くまで迎えにゆくのは一番ムケエで、五番ムケエまであり、最後が村中の人が、青梅街道の村境(阿佐ケ谷南1-9)で出迎え、お水を馬橋稲荷神社に供えました。そのあとの行事は、井の頭弁天のお水行事と同様でした。不思議なもので、雨乞いをすると必ず雨が降り、「おしめり正月」だと、お宮に集まってお礼参りをして、一杯飲んだそうです。